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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(あ)756号 決定 1989年2月17日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人楠田堯爾、同加藤知明、同田中穰の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、適法な上告理由に当たらない。

なお、所論にかんがみ、公正証書原本不実記載罪の成否につき職権で検討するに、原判決の是認した第一審判決の認定によれば、被告人は、自己所有の不動産を第三者に売却しながら、土地開発公社事務局長と共謀し、情を知らない同公社職員をして、不動産登記法三一条、三〇条に基づき、右不動産を被告人から公社に、次いで公社から前記第三者に売却したとする内容虚偽の各所有権移転登記の嘱託手続をさせ、情を知らない登記官をして不動産登記簿原本にその旨の不実の記載をさせたというのである。このような場合において官公署による登記の嘱託手続をすることも、私人が登記の申請手続をするのと同様、刑法一五七条一項にいう「申立」に当たると解するのが相当であるから、被告人の本件各所為につき公正証書原本不実記載罪の成立を認めた原判断は正当である。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官安岡滿彦 裁判官伊藤正己 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己)

弁護人楠田堯爾、同加藤知明、同田中穰の上告趣意(昭和六三年八月三日付)

第一、憲法違反

一、憲法第三一条は罪刑法定主義をも定めている。罪刑法定主義は、「法律がなければ犯罪はなく、法律がなければ刑罰はない」という標語によって示されるように、一定の行為を犯罪としてこれに刑罰を科するためには、予め成文法の規定が存在しなければならないとするものである。

二、原判決(名古屋高等裁判所の判決)は、不動産登記法第三〇条、第三一条の登記の「嘱託」も刑法第一五七条第一項の「申立」に当たると解するのが相当であるとする。

その理由とするところは、

(一)(1) 「原則として当事者の申立による申請主義をとっている不動産登記手続の下で、右『嘱託』による登記の手続については、別段の定めがある場合を除き、『申請』による登記の手続に関する規定が準用され(不動産登記法二五条二項)、例えば、登記簿原本に記載される事項も『申請』による場合となんら相違しないうえ、本件のように官公署が不動産取引の当事者とされる場合は、官公署といえども登記制度を利用する面では私人と同列の資格に立つものといわざるを得ないから、『嘱託』といい『申請』というも実質は同じであって、いずれも登記の申立という範疇にまとめることができ、刑法一五七条一項の『申立』に当たるといって差し支えがない」という。

(2) ここに、原判決の論理矛盾を読み取ることができる。即ち、不動産登記法(以下「不登」と略称)第二五条第二項は「法令に別段の定めある場合を除くの外」(官公署の)嘱託による登記の手続について申請による登記に関する規定を準用すると定めている。

嘱託による登記に於いては、私人の間に於けるような登記当事者の共同申請によらずして官公署が登記原因を証する書面を添付して嘱託するか(不登第三〇条――官公署が登記義務者)、登記原因を証する書面および登記義務者の承諾書を添付して嘱託する(不登第三一条第一項――官公署が登記権利者)。「嘱託」の主体は官公署のみであって登記権利者・義務者の共同申請でない。これこそ、「法令に別段の定めある場合」でありそれ以外の何物でもない。

然るに、原判決はこの点を完全に無視して、「官公署といえども登記制度を利用する面では私人と同列の資格に立つ」としたのは明らかに誤りである。「いずれ(「申請」および「嘱託」)も登記の申立という範疇にまとめること」はできないのである。

(二)(1) 次に、原判決は、「官公署が不動産取引の当事者となっている場合は、通常、登記の真正ないし信頼性が確保できることから、当事者双方の申請によらずに官公署の「嘱託」で足り、その際登記済証を添付することを要しないなどの取扱いがされてはいるけれども、だからといって「嘱託」登記の場合登記の真正ないし信頼性が常に確保されるとは限らず、登記簿原本の不実記載を防止することの必要性は依然として残るから、この点からも右「嘱託」が公正証書原本不実記載罪の「申立」に当たる」と言う。

(2) 「登記簿原本の不実記載を防止する必要性」があるから公正証書原本不実記載罪に該当するというのは理論の逆立ちである。法益を守る必要性があるから直接該当する定め(条文)はないけれども近いところの一定の犯罪に該当するという考え方、先ず保護法益があって、放置しておくと危険だから何でもかでも有罪にしなければならないという考え方こそ罪刑法定主義に反するものである。

(三)(1) 更に、原判決は「刑法一五七条一項の『申立』の主体が私人に限らないこと及び公社の野間事務局長がその権限を越えて原判示の各行為に及んだ点で私人にほかならないことは原判決が正当に説示するとおりである」と言う。

(2) 公務員がその権限を越えて行為をすると私人性を帯びるとの理論には首肯することができない。そもそも本件に於ける「嘱託による登記」の性質を考えるとき(本件の「嘱託による登記」は私人の間の「申請による登記」の規定の準用外にある部分での登記手続である)、本件は公務員たるA事務局長の虚偽公文書作成罪をもって臨むべき事案である(但し、原判決の事実認定を前提としてのことである。後述のように原判決の事実認定には重大な誤りがある――刑訴第四一一条第三号参照)。

三、以上のほか、第一審の弁論要旨で述べたことであるが、以下の点を付記する。

(一) 本件公訴事実中の「虚偽の申立」とは、不登第二五条第一項後段にいう官公署の嘱託を指し、その名義人は公社である。従って、公訴事実第一の一、第二の一にいう「申立」行為は、公社による不登第三一条第一項の登記嘱託行為を指し、公訴事実第一の二、第二の二にいう「申立」行為は、公社による不登第三〇条の登記嘱託行為を指すことになる。

そして公訴事実によれば、被告人がAと共謀の上、情を知らない公社の職員川角昌典らをして「申立をさせ」たというのであるから、被告人の罪責は共謀共同間接正犯という趣旨であろう。

(二) しかし、そもそも不登にいう官公署の登記嘱託は、公正証書原本等不実記載罪にいう「虚偽の申立」の「申立」行為に該たらないというべきである。すなわち、公正証書原本等不実記載罪は、私人の申告・申請に基づき作成される公文書に関し、私人の間接正犯的方法による無形偽造行為を処罰するものである(藤木英雄「刑法各論講義」弘文堂一四八頁参照)。

従って、通常の登記申請手続においては、登記権利者・登記義務者の登記所に対する共同申請主義がとられ(不登第二六条)、そこでは私人の申告・申請という行為が存在するから、その申請に当たり、真実に反して、存在しない事実を存在するとし、または、存在する事実を存在しないとして申立てる行為は「虚偽の申立」に該るが、本件のような、不動産の売買契約の一方当事者が官公署である場合の登記手続は、官公署が登記権利者である場合(不登第三一条第一項)でも、登記義務者である場合(不登第三〇条)でも、官公署が単独で登記所に対し、登記を嘱託することになる。そこでは私人の申告・申請という行為は存在しないから、たとえ嘱託された内容が真実に反したとしても、嘱託者の虚偽性の認識の如何に拘わらず、「虚偽の申立」には該らないというべきである。このように解することが罪刑法定主義の要請にも合致するというべきである。

(三) 不動産登記法はもともと明治三二年の法律である。

不登第二五条第一項は、登記を、「当事者の申請」と「官公署の嘱託」によると定めて手続を分けている(但し、第二項で、嘱託による登記の手続については法令に別段の定めある場合を除き申請による登記に関する規定を準用するとしているが、あくまでも申請手続の準用の問題に過ぎず、却って、「嘱託」と「申請」とは別であることを明言している)。

なお、「嘱託」(官から官への委嘱)という表現との対比で考えるとき、「申請」ないしは「申立」という語は民間から官公署へなすものとの表現である。

一方、刑法は明治四一年の法律で、その第一五七条は「申立」と規定している。不動産登記簿が「権利、義務に関する公正証書」であることは当然であり、既に存在する不動産登記法を前提になお、「申立」とのみ規定し、「嘱託」を規定していないことは極めて示唆的である。

(四) そして、官公署の登記嘱託が公正証書原本不実記載罪における「虚偽の申立」の「申立」行為に該らない(すなわち、官公署を売買契約の一方の当事者とする登記手続においては公正証書原本不実記載罪が成立しない)以上、他人(官公署――本件の場合は情を知らない公社職員)を道具として利用したとしても犯罪は成立せず、従って間接正犯も成り立たないと言わなければならない。

(五) 本件とは若干事例を異にするが、以上のような見解にたつと思われる判例として、大判大六年八月二七日刑録二三巻九八四頁がある。

四、以上、原判決は罪刑法定主義に反する憲法違反があることを述べた。

<以下、省略>

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